ケン・クレガン(オーガナイザー)
トム・ベイラー(ボーカルアレンジャー)
ジョン・ロビンソン(ドラム)
マイケル・ボディッカー(シンセサイザー)
ヘンリー・ディルツ(レコーディングを撮影したカメラマン)
トム・ベイラー(ボーカルアレンジャー)
ジョン・ロビンソン(ドラム)
マイケル・ボディッカー(シンセサイザー)
ヘンリー・ディルツ(レコーディングを撮影したカメラマン)
クラシック関係の番組は、よくその作品の背景なんかが解説付きで放送されることが多いのですが、ことポップスについては曲だけはがんがん掛かりますが、その曲の製作背景なんかはほとんど紹介されません。かといって、当時発売されたCDやレコードに曲についての詳しい説明があることも余りありません。だからポップアーティストのアルバムのライナーノートなんか解説者の独りよがりのエッセイでお茶を濁しているだけで、こんなもののために高い国内盤を買おうとは思いません。それならいっそ、ピュアな状態でそのアルバムに向き合った方がどれほどいいことか・・・その状態で聴いて、共感するものがあればそれが個人にとっての名曲で、気に入ったらそこから遡ってその曲の背景を知ればいいことです。小生の音楽との付き合いはこういう形で始まり、クラシックだろうがポップスだろうが同じスタンスです。ですから、60,70,80年代と洋楽ポップスも自分なりに聴いていて、このブログでもシカゴ、CCR、ムーディブルース、ELPなどのロックからペリー・コモ、クリフ・リチャード、シルヴィ・ヴァルタン、アンディ・ウィリアムズ、はてはジャズアーティストや民族音楽まで幅広くコレクションを取り上げています。
で、この「ウィ・アー・ザ・ワールド」USAフォー・アフリカも2009年に一度取り上げています。その時はLDで所有しているソースを取り上げ、この録音風景のドキュメントを含め、そこに収録されている映像について感想を述べましたが、今回は更に興味深い背景が確認出来ました。
BS-TBSが放送している水曜夜11時から放送している「SOUL OF MUSIC」はこういう曲にまつわる背景を紹介していて実に興味深い番組です。そして、12月29日にその「 『「ウィ・アー・ザ・ワールド」USAフォー・アフリカ』が放送されました。LDではダイアナ・ロスがホスト役で曲の制作風景を解説していますが、ここでは番組のパーソナリティ磯部 弘がナレーションを務めながら、この曲に関係した人物をインタビュー形式でその曲の当時の製作状況を語らせるという手法をとっています。
さて、1985年、飢餓に苦しむアフリカを救おうという目的の下45名ものスーパースターたちが集結して制作された「We Are The World」。これは、1984年、イギリスでアフリカのエチオピアの飢餓に対してミュージシャンたちがアクションを起こしたバンド・エイドとしてアフリカ救済チャリティーソング「Do They Know It's Christmas」の成功を聞きつけて、それに触発されたアーティスト、ハリー・ベラフォンテがアメリカのアーティストも何かしなければと、ケン・クラーゲンに話しを持ちかけたことからスタートしています。このケン・クラーゲンが、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンに曲作りを依頼し、クィンシー・ジョーンズがプロデューサーを引き受けることになります。
時に、1985年1月にはアメリカン・ミュージック・アワードが開催されます。この時、ハリウッドには著名なポッフアーティストが時ならず集合します。ケン・クラーゲンは電話で参加アーティストを募りますが、最初は20名ほど集まればいいと思っていたということです。処が、ブルース・スプリングスティーンが参加を表明したことで、一気に話が広がり、1月28日の録音当日にはA&Mスタジオに世界のポップス界を代表する45人が集まります。その時、参加アーティストに送ったクインジーの手紙には「エゴ」を捨てて集まってくれと書き添えられていました。
作曲のペースは遅く、最初はマイケルの家で二人が構想を練ったそうですが、何しろ当時のマイケルの家は遊園地で数々のアトラクションはあるし動物もたくさん飼っていたので蛇がうろつく室内ではライオネルは怖がっていたといいます。曲が形になったのは収録の前日だったと言います。クインシーは、彼の右腕的存在だったトム・ベイラーにボーカル・アレンジを頼みます。その時のクインシーの指示は最初のフレーズはライオネル・リッチーが歌い次にサビの部分でマイケルのソロを入れてくれという指示とそのサビにダイアナ・ロスのソロを続けてくれという2つだけだったそうです。後はトムの采配で後のリードボーカル・ソロが決められていきます。
レコーディングは先ずコーラス部分が収録され、後でソロパートを歌うアーティストだけが残り収録が続きます。この時、歌詞の変更が行われています。
There's a choice we're making we're taking our lives(命を奪う)
が
There's a choice we're making we're saving our lives(命を救う)
に書き換えられたのです。
が
There's a choice we're making we're saving our lives(命を救う)
に書き換えられたのです。
そして、ソロパートではボブ・ディランが苦戦しています。大瀬意の仲間と歌うことの無い彼はナーバスになっていてかれ本来の歌い方が出来なくなっていたのです。メイキングはこのシーンも収録されていますが解説はされていませんでした。しかし、ここではクインシーとスティーヴィーがボブ・ディランに歌い方の指導をしているんですねぇ。こうして翌日の午前8時すべてのレコーディングが完了します。
番組では、このプロジェクトが今でも続いていることを最後に紹介しています。その規模は毎年数千ドルと小さくはなっていますが、30年後の今でも続いているのです。この番組の中でレコーディングを撮影したヘンリー・ディルツの言葉が印象的です。
音楽は誰にとっても生活の中の大きな一部だと思います。人生のサウンドトラックです。
30年経った今でも色あせないこの曲、番組では全曲紹介されることはありませんでした。せめて、ブログには貼付けておきます。日本語歌詞付きです。
そうそう、25年後の2010年には「We Are The World 25 For Haiti - Official Video」も作成されています。運動買いまでも続いている証拠ですね。それが下記です。
日本のショッピングを変える