久しぶりに荒子観音に行って来ました。前回は雨だったのでお参りをしただけでしたが今回はじっくり近くを散策しました。尾張四観音の一つで、寺号は観音寺といい天台宗のお寺です。また、1200 余体の円空仏でも有名です。快晴の青空のもとでは山門が映えます。この山門には仁王像二体が安置されており、仁王像は最大の円空仏としても知られています。すぐ左手の多宝塔もこのアングルだと一緒に写すことが出来ます。この多宝塔は、多宝塔は天文5年 (1536) に再建され、名古屋市内に現存する最古の建物・国の重要文化財です。
荒子観音寺の本堂です。ここには釈迦如来・大黒天の二像が安置されています。荒子観音は、天平元年 (729年) の創建と伝えられ、加賀藩主前田利家が天正4年(1576) に修造しました。この本堂は1994年にも火事で焼失、3年後に再建されており、古さと新しさが同居しています。
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本堂の裏手、北側には赤い鳥居の弁財天が祀られています。
こちらは本坊の玄関になります。
荒子観音から細い露地を通って200mぐらいの処に「冨士権現天満宮(ふじごんげんてんまんぐう)」があります。ここが荒子城跡といわれています。荒子城主前田利家が勧進した社であり、荒子城の鎮守神でありました。境内には、前田利家が越前へ移る際、荒子に残していった馬道具が保存されています。荒子城は、天文年間(1532年~1555年)前田利昌の築城、利家も居城しましたが、転封より天正9年(1581年)廃城となってしまいました。平城ですが、城の規模は、「尾陽雑記」「尾州古城志」などによると、東西が約68メートル、南北が約50メートルであったことが知られています。
利家の出生地は、荒子城と前田城の2つの説があるようです。前田城というのは名のとおり、前田橋(庄内川)の西にあり現在は速念寺(名古屋市中川区前田西町)となっております。速念寺の資料によれば、前田氏の祖は菅原道真とされ、菅家六代忠貞の子、仲章が尾張国前田に移り住んだことに始まるようです。その子孫が 仲利 → 利隆 → 利昌 → 利家 と続きます。 前田家の家紋が梅鉢であるということもうなずけます。速念寺も利隆の子、前田利則(意休)によって開かれたといわれています。