名古屋城の東に広がる東区の一体は 江戸時代は尾張藩の武士の屋敷が軒をつらねていました。 度々話題になる 朝日文左衛門をこの地に住んでいました。
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さて 今日取り上げるのは その名古屋市東区にある「養念寺」です。浄土真宗大谷派のお寺で、慶長2年 または4年の創建と言われています。山門の入り口脇に「烏ヶ池庭園」という表示があります。
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庭園の池には泥土の色が黒く見えたので「烏が池」といい、尾張名所図会にも記載された名勝でした。 江戸時代の6、7月の頃には池中の一面に浮かぶ紅蓮がきれいに咲き誇り、多くのの文人墨客が訪れたということです。
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但し、この池は普段は公開されていません。しかし、11月23日の祝日に、秋の文化財特別公開として公開されます。
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さて、近くにはこんな道標が建っています。場所は、国道19号線の代官町商店街東入口の交差点の反対側、つまり、鍋屋町側の角に地味にあります。電柱の支線カバーの影になっていて、あまり目立ちません。
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「善光寺道」、「京大阪道」と記されています。この通りは、多治見、瀬戸方面から名古屋城下にいる街道筋だったので旅人の往来が多く、そのためこの街角に善光寺道の道標が建てられていたといいます。
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また、この一角に「中村家発祥の地」の銘版が埋め込まれています。何の説明もありませんが、 300年ほど前に 中村清左衛門、清右衛門の二人が、道路をへだてて家を建て一人は酒屋、一人は味噌屋を始め、揃って同町一の富豪となったそうで、此処がその地だそうです。
さて 今日取り上げるのは その名古屋市東区にある「養念寺」です。浄土真宗大谷派のお寺で、慶長2年 または4年の創建と言われています。山門の入り口脇に「烏ヶ池庭園」という表示があります。
庭園の池には泥土の色が黒く見えたので「烏が池」といい、尾張名所図会にも記載された名勝でした。 江戸時代の6、7月の頃には池中の一面に浮かぶ紅蓮がきれいに咲き誇り、多くのの文人墨客が訪れたということです。
但し、この池は普段は公開されていません。しかし、11月23日の祝日に、秋の文化財特別公開として公開されます。
さて、近くにはこんな道標が建っています。場所は、国道19号線の代官町商店街東入口の交差点の反対側、つまり、鍋屋町側の角に地味にあります。電柱の支線カバーの影になっていて、あまり目立ちません。
「善光寺道」、「京大阪道」と記されています。この通りは、多治見、瀬戸方面から名古屋城下にいる街道筋だったので旅人の往来が多く、そのためこの街角に善光寺道の道標が建てられていたといいます。
また、この一角に「中村家発祥の地」の銘版が埋め込まれています。何の説明もありませんが、 300年ほど前に 中村清左衛門、清右衛門の二人が、道路をへだてて家を建て一人は酒屋、一人は味噌屋を始め、揃って同町一の富豪となったそうで、此処がその地だそうです。