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オーケストラは素敵だ―オーボエ吹きの修行帖

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オーケストラは素敵だ―オーボエ吹きの修行帖

著者名茂木大輔
出版者中央公論社 中公文庫

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 たったひとつの空席をめぐって火花を散らすオーディション。その修羅場をくぐり抜けてようやくオーケストラに入団したはいいものの、プロ奏者になるまでにはさらなる試練が待ち受けていた......。N響首席オーボエ奏者の明かす、オケ修行の険しい道のりと爆笑楽屋裏話。楽団員はこうして生まれる!?---データベース---

 本書は、ON BOOKSとして発売されていた『オーケストラは素敵だ−オーボエ吹きの楽隊帖』(音楽之友社,1993年)、『続・オーケストラは素敵だ−オーボエ吹きの修行帖』』(音楽之友社,1995年)の2冊の単行本を再構成して文庫化したものです。3部構成で、最初がオーディションにまつわるエピソード、次がオーケストラの一員としてのオーボエ奏者からの物言い、最後がオーボエ吹きとしての音楽の理解についての披瀝となっています。多分新書判よりもの文庫本の方が内容がすっきり纏められていて読み易いのではないでしょうか。

 著者については今更紹介するまでもなくN響首席オーボエ奏者です。この記事を読んでくれている人は、テレビドラマ化された「のだめカンタービレ」の監修者としての方が知られているかもしれません。その著者の1980年代のドイツでの留学&オーディション挑戦時代を落語好きだけあってユーモア有り・感動有り・さげ(落ち)有りの楽しく時にほろりとくる読みやすいエッセイ集です。まあ、その語り口は解説の筒井康隆先生がベタホメです。
 
 さて、その構成です。

その1 オーディション物語
・オーディション/五次審査への長い時間
・空席/海に消えたオーボエ奏者
・楽員募集/「ダス・オルヒェスター」の求人広告
・書類審査/「飛び込み」という過激な方法
・履歴書/歌劇でアイマイなアッピール
・初仕事/ぐしゃ!花のように開いたリード
・武者修行/つかの間の夢
・転機(1)死にものぐるいで地下室修行
・転機(2)モーツァルト・シャワー
・転機(3)時の人、有頂天から一転して

その2 オーケストラに入ったら
・首席奏者/「主席」は中国の指導者
・楽譜/「書き込み」との出会い
・リハーサル/その時指揮者は何をするか
・コンサート・ホール/通勤片道18時間30分
・楽屋/さよなら「クリーン」さん
・ゲネ・プロ/「ノリウチ」ってなんだ
・名曲のアダ名/「だふくろ」ってなんだこりゃ!
・燕尾服・脱走不能、本番への覚悟
・本番/ステージへは「器量の順」「年の順」?
・序曲/年末「第九」の前座
・協奏曲/オケ・マンの「凄い」特典
・テレビ中経/カメラの赤い電気」の恐怖
・ラジオ中継/おしゃべり奏者は早口支離滅裂
・休憩時間/休めない休憩
・交響曲/64のシンフォニー
・フィナーレ/「もうすぐ終わるよ、ほらね!」
・ブラボー/33!勘違いのカーネギー・ホール
・握手/最後の演奏会の写真
・花束/一輪の白いバラの贅沢

その3 オーボエ吹きのドイツ修行
・宝の山----バッハのカンタータを知る
・基礎訓練の必要あり、見所はあるが三流だ
・バッハ・アカデミーで??の来日
・バッハロ短調ミサに学んだこと

 文庫版あとがき
 解説 筒井康隆

 と、まあこんな内容になっています。盛りだくさんのように見えますが、一つ一つは短いエッセイになっています。しかし、項目の少ないその3が一番内容が濃いでしょう。留学時代にはバンベルク交響楽団にも参加していましたし、ヘルムート・リリングの指揮するバッハ・アカデミーでも3番オーボエを吹いてツァーやレコーディングもこなしています。ここではそのバッハ・アカデミーでの出来事が綴られています。茂木氏はギュンター・パッシンの弟子ですが、このバッハ・アカデミーでは、ヘダ・ロトヴァイラーという女流オーボエ奏者にテッテー的にしごかれ、ノイローゼになるほどです。ここでしごかれたことが彼を一段と成長させます。こんな一節があります。

{{ 今もし、「あのときのおれ」が、おれの仕事のパートナーとして現れたら、おれはヘダがあのとき見いだしたと同じくらいの問題点を、すぐさま「彼」のなかに見付けるだろう。楽屋で関係ない曲をでっかい音でさらい(聞かせたいのだ)、チューニングもせずにぱらぱらと意味のない音を出し、体をやたらにゆすり、指揮のマネをし、大きく指を折って勘定する。まったくあたりを聞いていず、自分の音程やタイミングが完璧に合った経験そのものがないものだから合っていないことにすら気付いていない。

 もっとやばいのは、「仕事なんか、その場でできる範囲で、適当にやっときゃいいんだ、本番のノリが大事なんだから、うるさいこといって神経とられちゃダメだ」という、おそろしい考え方が染み込んでしまっていることだった。自分の経験したことだけがすべてだと思い込んでいて、それより高い水準の要求はみんな理不尽に思えてしまう。

 音楽であれ、文章であれ、あるいは他の仕事でもそうかもしらんが、基礎的な力というのは大切だ。
 特にその場でのとっさの対応が必要なものほど、基礎的なテクニック、心構え、引き出しの数に左右される。志ん生を聞くと、そのことがよくわかる。

 思いつきの小手先でちょちょちょっ、とやるものは、しょせん、それだけのものでしかない。
 たとえ、一度や二度、うまくいくことがたまたまあったとしても、それはバクチで言うビギナーズ・ラックであって、調子に乗っているとスッテンテンで簀巻きにされるのがオチである。}}

 音大でオーボエを習い、卒業する人は全世界でどのくらいいるかは知りません。ただ、オーケストラの首席オーボエ奏者の席が空き、その穴を埋めるためにオーディションが開催されるという時期を迎えずに、無駄に年を取り、白髪なり、毛髪が抜ける、あるいは加齢臭を漂わせる人はこちらの想像するよりははるかに多いでしょう。筆者はオーボエ奏者の欠員を埋める時期に偶然にマッチしていたので、シュトゥットガルト・フィルの副首席という椅子に座ることができたのではないでしょうか。

 そして、厳しいオーディションを戦い抜き、ノーサイドの笛とともに、同じオーボエ道を究める同士としての仲間意識が生まれているのも事実でしょう。ここではその歴戦の仲間がベルリンフィルやバイエルン放送響のメンバーになってゆくこともさりげなく書かれています。

 オーケストラの側の一人の奏者としての語りですが、色々と新しい発見もあります。さあ、この本を読んだらコンサートにでも出掛けてみますか。 


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