JRさわやかウォーキング |
今日は絶好のウォーキング日和だったのでJR東海のさわやかウォーキング、『老舗造り酒屋での唎酒(ききしゅ)と水郷の里「佐屋川創郷公園」散策』に参加しました。スタートはJRの蟹江駅でしたが、ここには高校時代の友人が住んでいるので、駅に着いてからメールすると来るというので蟹江の町を案内してもらいながら楽しくウォーキングすることが出来ました。隣町の弥富もそうですが、この蟹江町は海抜ゼロメートル地帯です。いや海抜マイナス地帯といった方が正確でしょう。1959年の伊勢湾台風のときはこの友人宅も水没し、出入りは2階からしていたといいます。JR蟹江駅には当時枕木が保管してあったようで、その枕木で筏を作り2階から出入りしていたといいます。
ところで、JR蟹江駅は普通しか止まらない駅ですが、この日はウォーキングということで快速も臨時停車しました。ただし、関西本線は名前は幹線のように聞こえますが、JR東海管内は未だに単線の区間が多い路線です。そういう蟹江駅の駅舎の前は閑散としています。一応東側が駅前なんですが、写真のように殺風景です。最近は駅西が整備されて大型スーパーや区画整理がされていますが、まともな改札口が無いというやや不便な駅です。
そんなことで、のどかな風景の中、駅にほど近い歴史民俗資料館が最初に訪れたスポットです。なかなか立派な建物…と思ったら、こちらは蟹江町産業文化会館。左側に申し訳なさそうに隣接しているのが歴史民俗資料館なんですが、今は総称して蟹江町産業文化会館としているようで、企画展の「広告看板の世界」を開催していましたがこのレジメには蟹江町産業文化会館企画展示室と表記されていました。まあ、写真で見ての通り薬看板が主体の展示で、あとは醸造品の看板、ホーロー看板などが展示されていました。珍しかったのはケースの中に並べられていたマッチで、これを見るだけで当時の町の商業の様子が伺い知れます。今はマッチを販促に使っている店は皆無に等しいですが、子供の頃は色々なデザインのマッチを集めるのが楽しみだったのを思い出します。ただ、この企画展、このウォーキングの日の13日が最終日でした。別室では機織り機の展示もありました。
本来の歴史民俗資料館には蟹江出身の探偵小説作家の小酒井不木の紹介がされていました。小生まったく不勉強でこういう小説化がいたことをこの展示で初めて知りました。大正末期から昭和初期に掛けて活躍したのが小堺不木で、彼の作品の「人工心臓(大正15年)」は日本に置ける最初の純SF小説として名高い作品なんだそうです。小説家ですが、医学博士でもあり、俳句人でもあったようで彼にまつわる作品の数々が展示されています。この歴史民俗資料館には交友関係のあった江戸川乱歩揮毫の不木碑が入り口に鎮座しています。
ここからちょっと歩くと蟹江城址があります。蟹江浄があったことも今回初めて知りました。この蟹江城は永享年間(1429年 - 1440年)に北条時任(ときとう)が城塞を築いたのがはじめと言われ、戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)があり、大野、下市場、前田の三つの支城があったようです。時代的に平城で、天正12年(1584年)4月における小牧・長久手の戦いのあと、天正12年6月に尾張国南西部における羽柴秀吉(豊臣秀吉)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦いのことで、主に蟹江城における篭城戦が蟹江城合戦といわれるそうで、ここでも秀吉の軍は負けているんですなぁ。そういう戦いがあったことも今回初めて知りました。
3タイトルの「佐屋川創郷公園」散策ということで、佐屋川流域を散策します。ここには蟹江町立図書館があります。この図書館よく見ると壁のデザインはカニ模様になっていますし、敷地内には小学校の後輩である黒川紀章の揮毫による「小酒井不木生誕地碑」があります。そう、建築家の黒川紀章氏はこの蟹江町の出身だったのです。蟹江は文化人との交流が盛んだったようで、蟹江小学校校歌の作曲を手がけたのは山田耕筰氏です。
この蟹江氏には二子山部屋が名古屋場所のおり、相撲部屋を開設するので「足湯かにえの郷」の近くの歩道には力士の手形のプレートが埋め込まれています。中々洒落ていますね。
コースには蟹江のまつり「須成まつり」の時だけ橋桁が上がる跳ね橋の「御葭橋」があります。この祭は8月に開催されます。名古屋からも臨時の市バスが運行されるので今年は是非いってみたいと思っています。
最後は造り酒屋の「山田酒造」です。しっかり歩いてちよっと疲れた身体に試飲の酒のエネルギー補給は絶好の薬でした。ここでは甘酒も振舞われていました。老舗ですから手入れされた庭も見事で、見入ってしまいました。
8.5キロの程良い距離のコース。踏破後は友人と駅前にあるおしゃれなガーデンカフェ「サンフルーリ」でのランチに花を咲かせ、久しぶりの再会を楽しみました。